【どうする家康】42回ネタバレと感想!大名を味方につけろ書状合戦

どうする家康

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慶長五年(1599年)、徳川家康は上杉景勝を討伐するため向かっていた。同じ頃、石田三成も挙兵していた。

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「どうする家康」第42回視聴率

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「どうする家康」第42回あらすじ

真田信幸は徳川についた。父・昌行は信濃・上田へと引き換えしてしまう。沼田城に向かった。

「この城の主は、我が夫・真田信幸と存じます。ここから先は一歩も通しませぬ。」

信幸の妻・稲は、本多忠勝の娘。徳川を守るため昌行を通すことはできなかった。

7月25日小山評定では、福島正則・黒田長政・藤堂高虎など名立たる武将が顔を揃えた。

「石田三成が挙兵した。これより上杉討伐をやめて、西へ引き返す。」

上杉討伐には豊臣の家臣も参加していた。大阪に残した妻子たちを人質に取られていた。石田三成は主の留守に襲いかかった。そんな男に未来を預けることはできなかった。

「治部、秀頼を戦に出す用意はある。必ず家康の首を取れ。」

茶々は三成を焚きつけた。7月29日、三成の2万5千の兵が伏見城を襲った。鳥居元忠は2千の軍勢で戦った。

「数えきれない仲間が先に逝った。ようやくわしの番が来たんじゃ。嬉しいのう…。」

元忠と妻・千代は討死してしまう。家康は多くの書状を出し、味方をつけようとした。

家康は西に向かう。秀忠は、3万8千の軍勢で信濃に向かっていた。昌行は降伏の使者を送る。しかし、昌行と信繁は城を開けようとはしなかった。

「真田の狙いは、我らをここに足止めすること。まんまとやられましたな。」

美濃・赤坂では、家康が本陣を張っていた。秀忠の足止めは痛い。三成は家康を関ヶ原に誘い込もうとしていた。

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「どうする家康」第42回感想

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