【どうする家康】37回ネタバレと感想!乱世を生き抜いた家康家臣団

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どうする家康

天正十七年(1589年)5月、豊臣秀吉の側室・茶々が男の子を生んだ。鶴松と名付けられた。

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「どうする家康」第37回視聴率

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「どうする家康」第37回あらすじ

家康は京・聚楽第に呼ばれていた。秀吉は北条との戦と命じる。三月で終わらせることになった。

「みなこれまで故郷を守るため、多くの犠牲を払って戦い続けて来た。今さらその全てを取り上げられるなど、どうして言えようか。」

北条の所領は家康のものになる。しかし、その狙いは国替えだと家康は感じていた。

「殿下、北条に武蔵・相模・伊豆3カ国の安堵を条件に降伏を促してはどうですか?」

秀吉は聞こうともしなかった。家康は戦の後は、武蔵・江戸に国替えを命じられた。

7月5日、北条家当主・氏直が降伏する。翌日、家康は小田原城に入る。北条氏政は抵抗を続けた。

「我らはただ、関東の隅で犯さず犯されず、我らの民と豊かに穏やかに暮らしていたかっただけ…なぜそれが許されぬのかのう。」

家康は家臣たちを呼び、国替えの話をする。新たな領国を納めること、家臣たちは気が付いていた。

「みな、本当は悔しかろう?無念であろう?このようなことになり、すまなかった。この通りだ。」

家康は頭を下げる。また一から始めればいい、今川・武田・織田が滅び、この乱世を生き延びた。弱虫だった家康と共に生き延びた。家臣たちは家康に感謝していた。

「こちらこそじゃ、こんなわしにようついて来てくれた。よう支えてくれた、みんなのお陰じゃ。」

家康の家臣たちは城もちの大名になった。離れ離れになっても心は一つ、今度会う時は江戸になった。

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「どうする家康」第37回感想

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