【どうする家康】44回ネタバレと感想!秀忠に教えた結果の責めの追い方

どうする家康

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家康は大阪城に来ていた。茶々と秀頼に関ヶ原の戦勝報告を行う。

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「どうする家康」第44回視聴率

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「どうする家康」第44回あらすじ

慶長8年(1603)、徳川家康は征夷大将軍に任命される。徳川幕府を開くことになった。

「だからこそ、ワシはここに移った。西に睨みをきかせるように…。」

本田忠勝は伏見城に移っていた。戦に生きた年よりは身を引くべき、榊原康政は時代の変化を感じていた。

「千は行きとうございません。怖い、怖い。」

秀忠の娘・千姫は、秀頼との婚姻を拒んでいた。しかし、政略結婚は避けられなかった。

「関ヶ原に遅れた時から何も成長しておらんな。お前は全軍を率いて来ねばならんのじゃ。」

家康は秀忠を罵倒した。関ヶ原に遅れたのは真田に足止めされたから、秀忠に罪はなかった。

「関ヶ原はまだ終わっておらぬ。あれは所詮、豊臣家中の仲たがいの戦。再びひとつとなって秀頼の元に集まっている。今年の正月は大いに賑わったらしい。」

上に立つ者は、理不尽なことがあっても結果の責めを負うこと。家康は1年以内に秀忠に将軍職を譲ることを決めた。

「老いには抗えん。無念だが我らはここまのようじゃ。役目は終えたのだ。」」

本多忠勝は老いを認めなかった。桶狭間より殿を認め慕って来た。いつまでも家康の背中を追っていたい。榊原も同じ気持ちだった。

慶長16年(1611)、豊臣秀頼は19歳になっていた。大阪では牢人たちを集めて施しを行っていた。

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「どうする家康」第44回感想

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