元亀元年(1570年)4月、信長は窮地に立たされていた。朝倉・浅井は比叡山に陣をとっていた。
第33話、『比叡山に棲(す)む魔物』
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「麒麟がくる」33話視聴率
「麒麟がくる」33話が放送されました。気になる視聴率は、発表され次第報告します!
「僕がほぼひとりで4分くらい話している間、ずっと板の間で平伏している光秀さん。カメラのアングルを変えながらトータルで1時間ほど。自分が映らないところでも付き合ってくださった長谷川さんに感謝感謝です」(春風亭小朝)#麒麟がくる pic.twitter.com/YxfHrH6l4l
— 【公式】大河ドラマ「麒麟がくる」毎週日曜放送 (@nhk_kirin) November 22, 2020
「麒麟がくる」33話あらすじ
醜い顔に跪け
信長は四方を敵に囲まれる。比叡山に乗り込もうとする信長に反対の声があがった。光秀は和議を求めるため朝倉義景の元に向かう。
「この戦、潮時ではございませぬか?」
義景は、一向宗と戦ったことがある。
「お経を唱えるものと戦に勝ち目はないということだ。信長に伝えよ、この戦を止めたくば覚恕さまに跪けと。」
光秀は、比叡山の主・覚恕に会うことになる。覚恕は正親町天皇の弟にあたる。
「金を持とう、力を持とうと。その通りになった。ワシは美しきものに勝ったと思った。」
信長は領地も金も奪い取った。覚恕はそれを許すことはできなかった。
比叡山の焼き討ち
尾張・小木江城は、反信長勢力に攻め込まれる。織田信興が討たれてしまう。その頃、摂津は覚恕に会っていた。
「織田は、もはや袋のネズミじゃ。助けてやることなどない。成り上がり者に夢は見させぬ。」
覚恕と幕府が繋がっている。信長は御門に判断を委ねる。
「信長を守ってやろうぞよ。覚恕は貧しい公家たちに金子を貸し領地を奪って来た。公家たちの苦しみはいかばかりか。これはちんと弟の戦いやも知れぬ。」
その後、信長と延暦寺の和睦が結ばれる。順慶は公方の養女を娶ることになっていた。その祝い席に松永も呼ばれていた。
「古く悪しきものは、そのまま残っておる。それを倒さねば新しい都は作れぬ。よって戦は続けなければいかぬ、お分かりか。」
元亀2年(1571年)秋、信長は比叡山のふもとに兵を結集させた。そして奇襲をかける。比叡山に残った者は斬られてしまう。
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「麒麟がくる」33話感想
天子の一人称である朕。
字幕では「ちん」とひらがな表記になっています。NHKや新聞協会では、常用漢字表にあっても原則として使わない漢字として、虞・且・遵・但・朕・附・又の7文字を定めているそうです。
歴史小説や古い法令を読んでいる身には、どれも身近な漢字ではありますが。#麒麟がくる pic.twitter.com/w3UeNlFdha— かかまつ (@kakamatsukk) November 22, 2020
覚恕のコンプレックスのこじらせ方と、そこから抜け出し自尊心を満足させる手段については、寂寥感が漂ってグッサリくるのですが…なんだろうなぁ…僧形でこれを言われてしまう虚しさたるや…。
ここ数回、十兵衛はますます凄みが増して、いよいよ「光秀」になってきましたな!#麒麟がくる#麒麟絵 pic.twitter.com/Mc0aUvWYVT— 高枝景水@11/23コミティアほ01b (@namazudou) November 22, 2020
ここまで比叡山への憎しみ煽って「燃やされても仕方ないな」と思わせておきながら、戦に巻き込まれて殺される女性やたまたま比叡山へ行っただけの子供が殺されるところを描くことで、主人公側をまた正義には見せないのすごいな… #麒麟がくる
— いが(たろに) (@iga_iganao) November 22, 2020
迷いと葛藤こそ抱えながら旧勢力を駆逐するべく積極的に叡山攻めに関与する十兵衛は勿論、「女子供には山を出るよう再三勧告してきた」という信長の台詞を挟むのも巧い。
従来の魔王像だといきなり「撫で斬りにせよ」でしたから。#麒麟がくる— 天河真嗣@人呼んでカクヨム界のコンデ・コマ (@tenkawa_shinji) November 22, 2020
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